アース製薬

メニュー

閉じる

開発秘話:ごきぶりホイホイ

~10名のチームが実現させた会社の復興~

子供時代のセミとりがヒント

画像alt

1970年代に入るとマンションなどのコンクリート製の建物が増え、住環境が大きく変化した。それと同時に、屋外だったゴキブリの生息環境も家屋内へと変わり、多くの人が、部屋に突如現れる黒光りしたゴキブリに昼夜悩まされるようになった。

当時ゴキブリ駆除のために多くの家庭で使用されていたのは、生け捕りにするタイプ。簡易なプラスチック容器で、捕獲後は水に漬けるなどして殺処理をしなければならず、利用者、特に奥様方には大きな負担となっていた。
こうした背景を考慮し、〈これに対抗できる商品〉〈不快さを取り除いた商品〉を実現したいとの想いで新商品の開発がスタートした。

1971年のある夏の日のこと、大塚正富社長(当時)が工場(兵庫県赤穂市)へ向かうバスの中で、窓の外に響くセミの声を聞いて子供の頃を懐古していたそのとき、トリモチ(昆虫などを捕獲する際に使う粘着性の物質)でセミを捕まえていたことを思い出した。

「これだ!」と直感したといいます。偶然のひらめきでした。

すぐに研究員を集め、粘着物質を使ってゴキブリを捕獲するアイデアを実現するための検討を開始し、研究所で「ハエとりリボン(天井からぶら下げた粘着性リボンでハエを捕獲するもの)」の上にゴキブリを乗せ、捕獲できるかどうか実験を行ったところ、予想通り、面白いように捕獲でき、商品化へ向けたプロジェクトチームが発足した。

試行錯誤の末に

プロジェクトチームが考えたのは、紙の箱に粘着剤を仕込み、捕獲後はその箱ごと捨てることができるというアイデア。
開発のポイントは、〈効果的に捕獲できる箱の形状〉と〈強い粘着力〉だった。
研究所内では、チャバネゴキブリ、クロゴキブリ、ワモンゴキブリなどのゴキブリを数十万匹飼育しており、技術者たちが日夜多様な実験を繰り返しその習性を研究していた。

ゴキブリは、臆病ですぐ暗いところに隠れる習性があるため、色の暗い紙で高さの低い箱(ハウス)を作成し、底部には粘着剤を塗って真ん中にエサを置けばゴキブリはすぐに捕まり、そのフェロモンにつられたゴキブリが、また一匹また一匹と次々に捕まるに違いない。そう誰もが信じていた。―――だが、一匹も捕まらなかった。ゴキブリの鋭敏な触覚が粘着剤に触れることで危険を察知し、忌避してしまうからだった。

この屈辱的な結果を受け模索していた最中、一人が放った言葉が解決の糸口となった。
「箱(ハウス)の入り口に坂道を設けて登らせれば、触覚が粘着剤に当たらず、好きなニオイにつられて中に飛び込むのではないか」。

早速テストを行うと、ゴキブリはその触覚の機能を発揮できないまま、次々と箱(ハウス)の中に吸い込まれ、ここに、箱(ハウス)は完成した。
箱(ハウス)のパッケージデザインは、不快さを排除するためにも見た目にかわいいポップなイメージにした。

粘着剤についても試行錯誤は続き、ゴキブリが忌避しない原料を用いて、乾燥しにくく強力かつ持続性のある粘着剤を求めて、想像を絶するパターンの試作を繰り返すことで完成し、1973年にようやく発売にこぎつけた。

進化する誘引力・粘着力

発売当初、粘着剤は乾燥を防ぐため同梱されたチューブに入れられており、お客さまが設置時に自ら箱(ハウス)の底に描かれた線に合わせて粘着剤を塗る仕様となっていた。

まずはこの手間を省くべく、販売から5年後の1978年に現在のものと同じシートをはがせばすぐに使える仕様となった。また、それまで粘着剤に混ぜられていた誘引剤を分離し、中央に置くタイプに変更。使いやすさと機能性を向上させた。

さらに、1994年には、ゴキブリをより捕獲しやすくするために、粘着力を弱める原因となっていたゴキブリの足についた油分や水分をふき取る「足ふきマット」を設け、捕獲力をアップした。

1996年には、誘引剤に肉・魚・野菜など、ゴキブリにとって魅力的な風味を詰め込み、誘引力を強化。さらに、1998年には、粘着剤の表面に起伏をつけて捕獲力を増す「デコボコ粘着シート」を採用した。このように、より良い商品へと常にマイナーチェンジが行われ、性能を高めていった。

会社を救った、ネーミング

開発当時、怪獣ブームであったことから、力強い「ゴキブラー」というネーミングが検討されていた。しかし、パッケージにしてみたところ怖いイメージになってしまったことから、もっと親しみのあるものにすべきと、〈ホイホイ捕れる〉ことから機能性も伝わりやすい『ごきぶりホイホイ』に決定した。この当時としては非常に斬新で、わかりやすいネーミングが、やがて爆発的ヒット商品となる大きな一因となった。

1970年に社長に就任した大塚正富は、家庭用殺虫剤の市場でわずか2%程度のシェアしか持たない自社のこれからを危惧し「3年以内に会社を立て直す商品を開発して世に送り出そう」と呼びかけ、自らも模索に明け暮れていた。そして、この3年目に発表したのが『ごきぶりホイホイ』だった。

1月に発売を始め、ゴキブリが発生し始める頃になると、生産能力を超えるほどの注文が殺到、まさに起死回生のヒット商品がここに生まれ、〈ホイホイ捕れて、ホイホイ売れて、ホイホイ儲かる〉と言われたほど、売れに売れて、会社はこのひと夏で黒字転換した。

これを機に、多種多様な商品を生み出すことに成功し、わずか2%だった国内業界シェアも現在では56%にまで上昇。その原動力となった『ごきぶりホイホイ』は、ゴキブリ捕獲器市場の約90%を占める大ヒット商品となって、誰もが名前を知っている当社を代表する商品として、今もなお親しまれ続けている。

ページトップへ